今回は難聴の担当の先生の院内紹介により遺伝子学的検査を受けに行きました。
いつも行くフロアとは違うフロアに行くというのは、ちょっとドギマギします。全然知らない場所・・・みたいな。
予約された時間 5 ~ 10 分程前に指定された部屋のドアを開けると白衣を着た若い女性が対応をしてくれ、違う部屋へ案内され、カルテを作るための基本情報などを記入するための用紙を渡されて、それが済むと元の部屋へ戻り、説明をするための女医さんと、それを後方支援する恰幅のよいドクター ( この方が本来の遺伝子学的検査専門のドクターだと私は思いました。) と、さらに説明を受けている時のやりとりを筆記していた ( 後で確認するためでしょうか? ) 最初に対応してくれた女性との都合 3 人により遺伝子学的検査についての諸々を約 1 時間半に渡って説明され、それらの説明が済むと同意書にチェックを入れ、署名をして、いざ採血・・・。
全体としてはこんな流れでした。私と主人が説明を受けていた部屋にはもうひとつ控え室のような小部屋があり、おそらく書類やなんかのいろいろ補助的な作業をする方達ではないかと推測される白衣を着た若い女性が 2 名待機していました。
遺伝子学的検査をする 1 組の患者に対応するために少なくとも表面上は、都合 5 名位のスタッフが動員されるということでしょうか?
難聴の遺伝子学的検査についての費用は保険適用範囲内の検査と研究の為の検査があり、保険適用範囲内のものはもちろん健康保険が効くということで、研究のためというのは難聴の研究のためのものなので費用はかからないということでした。
そもそも今回私がこの遺伝子学的検査を受けるのは、昔、子供の頃に受けた右足の骨髄移植とその関連の胸の結核菌を除去するためにつかわれたストレプトマイシンが私の耳の難聴になにか関連があるかどうかを調べるためです。ストレプトマイシンに過敏な遺伝子を持っていると言語障害や難聴が症状として出るタイプがあるそうです。
私の難聴がそれに関わりがあるかどうか? 難聴担当のドクターがそれを知りたいと思われているようです。感音性難聴、伝音性難聴、はたまた、混合性難聴などなど・・・いろいろ難聴によっても種類があるそうですが、それによっても治療法や手術の有無、人工内耳のタイプなどいろいろ違ってくるようです。
2019 年 6 月現在ではマイシンは殆ど使われなくなったそうです。ただ、私が手術を受けた昔々の時代はもう、それはそれは当たり前のように用いられたようで・・・・時代ですね~。
難聴の遺伝子研究は神奈川県ではない他県にある S 大学が進んでいるそうで、この研究室に日本全国の難聴患者の遺伝子が集中するそうです。その為、結果がわかるのは 3 ヶ月から半年程かかるとか・・・・。今では難聴に関わる種類もかなりな数が増えているせいもあるそうですが。
遺伝子学的検査の結果が全て有用であるとは限らないともお話されていました。いらない情報もある、と。つまり、遺伝子学的検査をしても、必ずしも病気がなおるとは限らないので、過剰な期待をしてはいけない、と理解しました。
その他に保険適用外の遺伝子学的検査についての説明等受け、何かあったときに連絡する場所及びドクターのお名前とか、結果の報告が出たらどうするのか?とか、いろいろな説明を受け、最後に今までの説明を受けたことに対してのチェックと同意と・・・・・。
5 年間は検査結果を保存できるそうですので、本人が望めばその内容は教えてもらえるそうです。ただし、郵送とか、電話では一切受け付けず、本人が直接出向かなければならないということですが。もちろん、日時の予約は電話でも OK だそうです。
今回の結果が出た場合は、電話で連絡が我が家の方にあり、その時に病院へ行く日時の予約をして、直接今回の担当してくださったドクターたちと面談して、結果を報告される、という流れになるのだそうです。書面でだとか書き物は一切ない、と。
難聴担当のドクターには私たちから伝えることになるのだそうです。それって、大丈夫なのでしょうかね~? ま、主人がいてくれるから大丈夫でしょう? 困ったときの主人頼み・・・とかネ。
今回、遺伝子学的検査についての詳細な説明を受け、お話をし、つくづく時の流れを感じました。
病院を出て、駐車場にある車に乗ろうと助手席のドアを開けて何気なく東京側の空に目を向けたら、同じ形をした雲がポコポコと横に1列に繋がった不思議な雲があったので、思わず主人に声を掛けたら、主人も目を向けて " 環七雲かな? " と呟いていました。環状七号線の道路上にできる雲のことだそうです。それと同じように " 環八雲 " とか " 環六雲 " などというのもあるそうですし、16 号線上に同じようにできる雲もあるそうです。初めて知りました。
----次 | ----前